梅競う
果てなき図柄
絵筆の糸
(西陣あさぎ美術館にて)
4月の陽気から余寒の寒さに戻り、「今日はえらい寒おすなぁ」のご挨拶になりました。
海外からのお客様はTシャツから、流石の今日はダウンジャケットどす。
こないだ(この間)から、京も何度か地べた(地面)が揺れてびっくりしましたけど、この寒さで能登の方々はどないしたはるやろ・・温泉旅館は改修工事のめどは立たはったんやろか‥等々、ほんまに心配どす。
こんなに寒暖の差が激しいのは、地質がけったいな事(変な事)になったはるのと違うやろかと、心配は尽きません。どうかどうか安寧の日々を・・・。
今月は寒い事もあってうちとこから(私の所から)近い美術館をご案内します。
烏丸四条下ル(南に行きます)にあります<西陣あさぎ美術館>へ。ビルの7階どすけど、1階でチケット買うて入っておくれやす。
エレベーターに乗って7階で開いたとたん、大きな大きな尾形光琳の紅梅白梅と観世水の西陣織が目に飛び込んできゃはってほんまにびっくりどす。ぱっと見たときは一枚の布に見えますけどよーく見たら、5枚はぎどす。柄がぴったり合ってるのでよくよく見ないと継ぎ目が見えず思わず唸ってしまう程の技術どす。
ここから中へ進んでいくと、西陣織の技術の高さや図案の構成や気も遠くなりそうな手仕事に、いちいち唸りながらのめり込んでしまいますえ。入館時に説明のiPadを貸してくりゃはるさかい(貸してくださるので)説明の番号のとこに立ち止まって目を皿のようにして西陣織と対峙どす。
特に今は大河ドラマの影響もあって<源氏物語と雅な歌人たち>というタイトルで関連の絵画を西陣織で見せてくりゃはります。、この物語は平安時代末期には絵巻として絵画化されたそうやし、文字でストーリーを追うだけでなく、目も楽しませてもらえたやろし当時は今みたいにSNSやらLINEやらで情報を得る時代と違うさかい貴族の中でも引っ張りだこやったんが納得どすなぁ。
西陣は京の地名で、ほんまは応仁の乱の時に堀川通り(堀川と言う川が流れています)よりも西に総大将の山名宗全が陣を構えはった事で西陣と言ったそうどす。乱の後各地に離散したはった織物職人が戻ってきゃはって西陣で織物作りを再開しゃはりました。
当時は勿論、手機(てばた)どすけど明治時代にヨーロッパに勉強に行かはって現在のジャガードなどの洋式技術を学んで来ゃはって、ここの塚喜と言う会社さんが1800口と言う横幅の広い織物が可能になったんどす。そやし(だから)、丸帯と言う着物用の帯どすけど、うちらが(私たちが)付ける袋帯と違うて、帯の幅が2倍、帯自体の模様がまるでストーリーのように途切れず果てしなく続く模様!しかも、着物に合わせて両面使えるさかいほんまにほんまに素晴らしおす。展示の丸帯も欲しいものがたくさん。うちは百人一首の帯が一番お気に入り!!そやけど、身に着けるのが怖い程、素晴らしすぎてやっぱり美術品どすなぁ。眼福 眼福どす。見応えたっぷりで入館料500円は安おすなあ。
そやそや、ここに来たら勿論 カフェ・ブラッスリー Le Bon Vivreに行かんとあかんわ。あさぎ美術館を出て少し下がります。(南に行きます)ロイヤル・パーク・ホテルさんの1階どす。ルボン・ヴィーヴルさんは、パンの進々堂さんが経営したはって少しお腹が空いていたら、うちの大好きなクロックムュシュとカフェオレがお勧めどす。
何やかや甘いもんたんと(たくさん)食べたい時はアフタヌーンティも。カフェと言うよりレストランに近い感じどす。もろて来た(貰って来た)パンフレットをカフェオレ片手にゆっくりと見直すのが最高に幸せどす。
無論、食べる事が最高に幸せどすけどね。ふふふ