哲学に
描く蛍の
光る糸
(哲学の道にて)
6月 もう水無月どす。
早い月日の流れにほんまについて行けへんわぁと、焦るこの頃どす。
年齢を重ねれば重ねるほど、辛気臭くて溜息が出ますけど、ゆっくり落ち着いて何でも取り組めればよろしおすのに、慌てては中途半端になり再度取り組むと言う悪循環どすなぁ。
まぁ今年の真ん中・・・ぼちぼち進みまひょ。
今月は蛍を見に行きましょか。桜の美しさでも有名な哲学の道。秋にも勿論、紅葉のお勧め場所として<女将のひとりごと>には幾度となくご紹介しましたえ。いつかは忘れましたけど(笑)
町の真ん中にあるうちとこからは、割と簡単に行けるさかい、うちはこの径が大好きどす。
銀閣寺方向から歩いても永観堂さんから歩いても2キロくらいやさかい、丁度短くもなく長すぎる事もなくええ感じどす。桜の時期は銀閣寺さん方向から歩かはるのがええかも。桜見過ぎて目も疲れた頃にちょっと座って一息・・・その後、健脚なお人さんやったら岡崎まで歩いておくれやす。お洒落なとこ、いっぱいありますえ。その情報は後日こっそりお教えしますね。
ほんで、哲学の道は何で哲学?
大正時代に学者や学生が思索にふけりながら散策したことがその名の由来や、と言うのが有力説どすけど歩いてたら銀閣寺に近いとこに京大教授の哲学者・西田幾多郎先生の石碑がありますえ。「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行くなり」と書いたぁります。
う~ん・・・お人さんはお人さん、自分は自分やしとにかく自分が決めた道を行きよし・・・こんな感じでうちは勝手に解釈してますけど。そんなこと言われんでも、わかってます!!と怒られそうどすけど、何か迷う事もあるし・・・そんな時にこの径歩いて、ぼんやり考えたら解決の糸口も見つかるかもしれんし、見つからなくてもこの細い道を歩きながら、その時その時の木々を愛で疎水の水の流れを愛でてそれだけでもええやん・・・と。あゝ楽天的なうちは、あかんなぁ。そやし<哲学の道>どす。
桜も紅葉もよろしおすけど、この6月の緑・緑・緑もほんまに好きどす。清々しいと言う言葉がぴったりのこの季節。梅雨前のなたね梅雨から少しの間、からりとした空気感があるほんまに僅かな日数どすけど、この時期は生命の息吹も感じられて暑くもなく寒くもなく,絶対どっかに出かけたくなる日々どす。
そんな日が何日かあってその後「ええ~梅雨入りなん?」とちょっと首を傾げたくなるころ、こっそりと日の暮れに哲学の道へ。8時を過ぎた頃ぼわっ~とした光が流線になって、何かそれこそ光る糸が、流れては切れてまた流れる感じ。儚げなんやけど、しっかりした動き。源氏か平家かうちには不明どすけど、蛍の美しい光は幻想的どす。光だけが見えて蛍の存在は分らず、緑がかった光の乱舞に見とれてしまいます。
うちとこから近い飲食街の木屋町通りもたまに蛍が・・との情報もあります。ネオン街よりもうちはやっぱり木々に覆われたさらさら流れる水のたもとに、光を放つ蛍が好きどすえ。
そやそや、暗うなる前に、ちょっとお茶でも・・・。このお店は地元のモンしか分からへんなぁ。おしゃれで、ほんまに美味しいティグレやカヌレ、可愛いケーキが並んでるQuatre-Heures (キャトルール)さん。
カフェのスペースもあるし、勿論ホットコーヒとカヌレとティグレも!!あぁ美味しいわぁ。蛍見に行くのん忘れそう・・・。ふふふ