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女将のひとりごと

今月のひとりごと -女将が日々を綴る-

女将 写真

有朋の
もみじ移ろう
無鄰菴
(無鄰菴にて)

神無月の半ば・・・。神様は皆様、出雲へお出かけどす。そやさかい出雲では10月の事を神在月(かみありつき)と、呼ばはるそうどす。それにしてもまだまだ夏服、お着物の時は勿論、単衣どすなあ。

今月も先月に引き続き庭園巡りどすえ。暑いと言うのが嫌やさかい、ほんのちょっとした<秋>をお庭に見つけたいさかい、ついつい。
そやさかい南禅寺界隈の<無鄰菴>さんへ。うちの大好きなお庭の一つ。お寺さんとは関係なく現在、この庭園は京都市さんが持ったはります。1896年(明治29年)、今から129年前に造営された明治大正の政治家さんやった<山縣有朋>さんの別荘どす。山口県萩市の出身、長州藩の下級武士の生まれどすけど、まぁ偉大なお人さんどすえ。

う~んと前どすけど、うちも(私も)萩の松下村塾(しょうかそんじゅく)を見に行きましたけど、幕末に伊藤博文さんや久坂玄瑞さん高杉晋作さんなど偉大な方々を輩出しゃはった<吉田松陰>さんの塾の出身どす。場所も場所やさかい、松下村塾は長州藩の方々が殆どどす。ここで学ばはった方々が、この田舎(すんまへん)から次々と京へ江戸へとそして何度も海外へ!!しかもあの時代に、行ったり来たり。暗殺あり外交あり戦争ありの怒涛の中、軍人としての活躍は思想は別としても凄い時代やったなぁと思てます。尊王攘夷の思想から軍国主義へ熱い男たちの思いは進んでいった歴史の中にこの無鄰菴も出て来ますえ。

山縣さんは幼少のころからえらいガキ大将やったらしおすけど、チャンバラごっこで、とにかく年齢関係なく指導者やったそうどす。そやし高杉晋作さんが創設した奇兵隊に入らはってその後戊辰戦争も行ったはります。根っからの軍人さんどす。
1869年(明治2年)から1年間ヨーロッパへ。帰国してからは廃藩置県を西郷さんと共に実施しゃはりました。1889年(明治22年)には第一次山縣内閣を組閣。
その後の日清戦争。勝利後の1898年(明治31年)第二次山縣内閣の誕生。
日露戦争の前年1903年(明治36年)4月21日に山縣総理のお声掛けでこの無鄰菴で、重鎮を集めて重要会議をしゃはりました。それが<無鄰菴会議>といまだに呼ばれている会議どす。

その重鎮は当時の日本の政治を主導していた最高権力者の集まり・・・伊藤博文さん、山縣有朋さんの後継者と言われていた桂太郎さん、外交官の小村壽太郎さんの合計4名の会議どす。
無鄰菴会議の目的は、日露戦争を直前に控えた時期に、南下するロシアへの対抗策として、朝鮮半島や中国東北部における日本の外交方針を決定する事どした。この会議は、無鄰菴の庭園内の一角にある洋館で集まって開かれたんどす。その洋館も拝見出来ますえ。椅子も当時のままやし、ここで喋ったはった1年後に日露戦争が勃発したやなんて、ほんまに怖い事どす。こんな綺麗なお庭の中に瀟洒な洋館が建ってて、然もその2階で世界を揺るがす内容を頭寄せて話したはったやなんて、残酷でむご過ぎて鳥肌もんどす。その場所にうちが居てたら「あかん!あかんし!!戦争はあきまへん!!!」と割って入ったのにと、悔やまれます。
悲しおすけど、歴史は塗り替えられしまへん。次の年、山縣さんは日露戦争の参謀総長として指揮をしゃはりました。その後は政党政治に徐々に変わっていって1922年(大正11年)83歳で亡くならはります。

激動の時代を駆け抜けはった軍人さん <山縣有朋>さんが持ったはった庭園三つは、西南戦争の功により手に入れはった東京の邸宅・椿山荘どす。第二の無鄰菴は木屋町二条にある以前は「大岩亭」と呼ばれていた角倉了以のお屋敷を山縣さんが購入しゃはったとこどす。今は大阪の「がんこ寿司」さんの所有どす。

第三番目は京のこの1000坪ある無鄰菴どす。手に入れはった時は元々お茶人さんでお庭好きが高じた山縣さんは7代目小川治兵衛さんに築かせたものと言われていますが、携わった小川治兵衛さん自身の造園手法にも多大な影響を与えたとされてます。高低差を付けた庭園の中心には疎水から引っ張ってきゃはった小川が流れ、一番奥にはその小川に注ぐ三段の滝も見られます。最大のポイントは雄大な東山をのびやかに庭園の正面に据え、まるで庭園が東の遥か向こうまで続いているかの様な錯覚を覚えます。今では当たり前の「借景」と呼ばれる手法どす。そこにはビルの頭も邪魔なモンは今に至るまで見えず、果てしない素晴らしい庭園があるのみどす。
入場料を支払う受付の直ぐ左に日本家屋があります。手前のお部屋では今現在、無鄰菴を守ったはる加藤造園さんの説明を10分間、聞くことが出来ますえ。無料やし、素晴らしい説明やし是非とも。次の間にはカフェを併設したはって、入場料を支払うときに申し込めます。うちは勿論、申し込みましたえ。

素晴らしい庭園は川のせせらぎを感じながらゆっくり歩いて苔や樹木を愛で、手入れの行き届いた庭園美を満喫できます。カフェのある母屋(日本家屋)・無鄰菴会議をしゃはった2階建て洋館・藪内流の燕庵(えんあん)を模して造られたお茶室の3つの建物によって構成されていて見応え抜群どす。カフェを先に利用しても後でもよろしおすし、そのカフェのメニューも割りと豊富で、うちが選んだんは無鄰菴オリジナルどら焼きとホットコーヒーどすけど、黄昏時やったらスパークリングワイン片手に・・・なぁんてそれもよろしおすなぁ。お座布に座って、秋のお日さんが穏やかに差し込んだはるお庭をぼんやり眺める時間は至福の時!あぁ、もみじもちゃあんと照ってきたはるわぁ・・・ほんまに秋やなぁと感動。そんな中、なんや騒がしい海外のお客様も入ってきゃはったけど、雰囲気を察して、急に静かにならはりました。郷に入れば郷に従ごおたはって「やったら出来はるやん!」と心の中で思いました。
さすが国の名勝に選ばれはった無鄰菴さん。だあれも注意もしなくて、皆さま無言にならはります。ほんまにこの空間が大好きどす。ふふふ

弥生 女将

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