

ねねの道
静かなる余生
蝉が友
(高台寺さんにて)
暑おすぅ。毎日がなんか纏わりつく様な重い湿気を含んだ空気感どす。お客様に日々、「京都の酷暑を体験中」みたいな感じのお言葉を頂くと、その暑さも楽しんでくれたはる感じがして、うちは心が軽うなるのどすけど、それにしても暑すぎるさかいこの暑さで京都が敬遠されたら嫌やなぁと心配もしています。
海外からのお客様は全く暑さは気になさらずで、裸みたいな恰好しゃはるしうちらは(私たちは)ついつい目を伏せてしまう感じどす。笑
さあ!暑うても出かけまひょ!勿論<京の夏の旅2026>!!
今回はサブタイトルに「豊臣秀長と兄・秀吉 ゆかりの地&京都のモダン建築」とあります。うーん、小冊子の中身を見ると、行きたい所満載どす。モダン建築も大好きやさかい、行きとぉすけど、<京の夏の旅>10年ぶりの公開の「秀吉公と北政所ねねの寺 客殿完成記念!」のキャッチコピーに目を奪われ、そう!今日は<高台寺>さんへ!
皆様ご存じの豊臣秀吉の菩提(ぼだい)を弔うために正室・北政所ねねが建立しゃはったお寺が高台寺さんどす。場所はざっくり言えば八坂神社に近く清水寺の間位。ここら辺の東の地区はほんまに見どころが仰山あって、歴史的に意味深いとこどす。八坂さんの南楼門(正門)から大好きな石塀小路を迷路のように曲がって曲がって行くと<ねねの道>にでます。そこらへん一帯はもう全てが高台寺さん関連と言っても過言ではおへん。
さぁ<ねねの道>から高台寺さんに上がる緩やかな石段、<台所坂>を上がりましょ。珍しい名前がついたはる坂どすけど、庫裏(くり)へ繋がる道としてのこの庫裏は台所も兼ねた場所やしその名が付いたとか、はたまた寧々は北政所が御台所(みだいどころ=将軍の正室の呼称)なので、御台所坂(みだいどころざか)から転じたとか、いろいろ言われはありますけど、高台寺さんの中ではうちはこの坂が一番好きかも?と思てしまう程季節感溢れてて、今は両脇に竹のライティングもしたはって夜は「東山観月路」と言うライトアップイベントをしたはります。幽玄の世界どすやろなぁ。うちも夜に行きとぉす。(行きたいです)。道幅と言い、段の高さと言い風情ある坂道、ほんまに感動の坂道どす。登り切って振り返ってみてもその美しさは、京都一どすなぁ。
歴史的には寧々さまは秀吉公が亡くならはって暫くは大阪城にやはって、秀吉公と淀君との間に生まれはった秀頼さんの後見もしたはったけど守役の前田利家さんが亡くならはったその後、徳川家康さんが大坂城に入ろうとしゃはると、寧々さまはあっさり西の丸を明け渡して京都に来ゃはりました。なんとなく<大坂の陣>の頃から淀君が主導権を握り始めたはるし、このまま大阪城にいてても・・・と思い始めはったんやろと思います。
それでその後、京都の秀吉公が最後に築かはった<京都新城>に入らはります。ここは今の京都御苑の仙洞御所の近くどす。ここで6年ほど暮らしてその後、関ケ原合戦の6年後、1606年に秀吉公の菩提を弔う為に高台寺の建立本格化に合わせて<京都新城>から東山は移り住まはりました。
徳川家康には、豊臣恩顧の武将たちから絶大な人望を集めていた寧々様を優遇しゃはって、味方に引き入れておきたいという強い政治的思惑があったんやろと思います。莫大な財政援助と建築許可をこの高台寺に与えはりました。家康の後押しによって、京都の中でも極めて風光明媚で、隠棲(いんせい)生活にふさわしい東山の広大な土地を確保する事が出来はったんです。この高台寺さんは秀吉の遺体が埋葬された聖地「豊国廟(とよくにびょう)」がある阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)のすぐ近くに位置したはります。女将のひとりごと2月に掲載していた豊国神社さんから2キロも離れた山の上どす。寧々は高台寺の塔頭である圓徳院(えんとくいん)に居を構え、そこから毎日、秀吉の菩提を弔うために高台寺へ通わはったそうどす。それで「ねねの道」と言う名前がつたんどそうどす。亡き夫の気配を最も近くに感じながら、静かに余生を過ごせる場所こそが、東山の山麓だったんどすなぁ。さらに、彼女が暮らしたお屋敷には、秀吉と過ごした伏見城の化粧御殿や前庭がそのまま移築されており、尚且つ今回は秀吉公が<文禄の役>の武将たちをもてなした客殿が今年完成するのんどすがその一部が外からどすけど見せてもらえます。綺麗過ぎてちょっと違和感もありますけど…完成したら拝観させてもらいますえ。
また開山堂(重文)内陣の天井には狩野山楽筆の天井龍図も特別公開やし見せてもらえます。こじんまりした龍は可愛い感じどす。その開山堂の前には臥龍池があります。その上を渡り廊下の役目である臥龍廊が山に向かって伸びている感じで、美しい瓦がまるで龍の鱗ように見えるこの景色は高台寺さんならでは。今はその臥龍廊は入れへんのんでぐるっと回って霊屋(おたまや)(重文)へ。祭壇中央には隋求菩薩(ずいくぼさつ)が祀られ左厨子には北政所、右は秀吉公の像が安置されています。高台寺蒔絵と名高い漆工芸の須弥壇や厨子は桃山時代の漆工芸の素晴らしさをまじかに見る事が出来ます。伏見城の遺構「傘亭(かさてい)」と「時雨亭(しぐれてい)」(いずれも重文)もあり、合わせて拝観できます。そこからは嵐山みたいな竹の小径をゆるり歩いて下ります。あゝなんと蝉さんの合唱が姦しい(かしましい)事。と、ふと寧々さまの気持ちになったら・・・寧々さまと言う呼称から北政所そして高台院湖月心尼にならはって、人望も厚く魅力的な女性として伝わってはいるものの、あの激しい性格の夫を亡くした時は寧々さまはまだ50歳。それからは静かな静かな余生を過ごさはりますけど蝉の合唱も愛おしく思える日もあったのかも・・・とまたまた創造逞しいうちどすけど、久方ぶりの高台寺さんは見応えありましたえ。
再び<台所坂>を降りて、ほんまに暑過ぎどす。着物で寄せてもろたうちが失敗どす。ここで熱中症になってお人さんにご迷惑かけたらあかんし、取り急ぎ水分補給を。寧々の道を暫く下がると角にお洒落なカフェが!sway_coffee_roasteryさん。京町家をイメージした店内、テイクアウトも出来ます。うちはとにかく極寒地にこの身を置きたい事が第一希望どすけど、出入り口が二か所オープンタイプのお店やし、、、。
と、ふとスポットクーラーを見つけたうちは、すぐさま席移動。スポットクーラーの冷気を出す太い管をうちの方にしっかり向けて、極寒地に入りました!!おおきに!!さすがにこの日はアイスカフェラテと抹茶どら焼きで。あぁ~生きてて良かった~。香りのよいカフェラテ、美味しおすぅ。ふふふ




































